「中国大返し」にチャレンジ~岡山から大阪を歩く~
「中国大返し」敢行《1日目》
今回はリアルタイムで行ったチャレンジ記事をお届けします。
やや長くなりそうなので何回かに分けて書かせていただきます。
チャレンジしたのは「中国大返し」
…ってナニソレ、と感じた方。
まぁ簡単に言うと…
「岡山県から大阪までを歩ききる」という旅です。
名前の由来としては、戦国時代のあの有名な1580年 本能寺の変の後の事件です。
天下統一を目指していた織田信長とその長男が、重臣の明智光秀に襲撃 され自決する日本最大のクーデターの話は有名です。
情報をいち早くキャッチした「羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)」はその時今で言う岡山県にあるお城「高松城」を攻めていました。
この緊急事態に対して、黒田官兵衛の計らいなどもあり秀吉軍はいっき に大阪へと引き返すのですが、その時の中国地方から関西への大群の大 行進に名前がつき、「中国大返し」となりました。
以下アイコンから分かりやすい資料へ飛びます
僕は甲冑は付けてないけど、この距離を走りきった昔の人たちの体力には驚かされました。
今のようなアスファルトで整備された道でもなければ、そんな大群がゆっくり休めるような宿場町もそう無かった時代です。
そんな時代に駆け抜けた男達の偉業に少しでも触れてみたいということで、ある程度大型連休になっている年末年始を使ってチャレンジしたわけです。
今回からそのリアルな記録を感じた事と一緒に当時撮影した写真とともにお伝えしていきます。
特にこの旅で得られたものはとても大きかったので、是非チャレンジしてみてほしいです。(それは順を追って書いていくとして…)
そして岡山から大阪への歩き旅にチャレンジしてみたいと考えている方 がいれば、リアルタイムに記していますので大変参考になると思います 。
年末の12月30日 スタート!
チャレンジしたのは2014年12月30日
岡山駅から のスタートにしました。
仕事初めの日(1月5日)がリミットではあったのですが、さすがにそこまではかからないと踏んでいました。
岡山駅に到着したのは10時前。
(写真の中で時計がぼやけていて見えにくいとは思いますが)
体力はマックス!
12月ということで寒かったですが、朝ごはんもしっかり食べたし健康 です。
リュックサックを背負い、日中はやや暑いくらいに感じるベンチコートを着て駅を後にしました。
サッカーなどではよく聞くコートですが、非常に保温性が高いコート です。寒い日にサッカーなどで体が火照った後、急激に体を冷やしたり して体調を崩さないように体温を外に逃さないためのコートです。
岡山駅から暫く歩いたところ
岡山県に住んでいる方ならこの辺りの風景は見慣れていると思います。
この道を東に進みながら、大阪までの大動脈とも言われる国道2号線へ の合流を目指します。
2時間、3時間と歩いてはiPhonのGoogleMapを見て現在地の確認をす るという感じです。
iPhonなどの携帯ですぐ見れるMapがあるというのはとても精神的に心 強いものです。
今回の旅でiPhonは本当に重宝しました。
…でも歩きながら友人にメールしたりしていたおかげで電池が少なくな ってしまいました。
これは気をつけてください。歩きスマホ自体もいくら歩道を歩くとはいえ危険です。
そんな時に役立つのが充電用のアダプタとバッテリー。
そしてコンビニエンスストアの充電ポイント。
「岡山上道駅前店」のファミリーマートは充電が出来るので、旅をする 人は要チェックポイント!
僕もコーヒーブレイクしながら充電させていただきました。
夕日に照らされた町は美しい
その後、国道250線から2号線への合流を目指してひたすら歩きます 。
長い橋や川を挟んでの山…
自然のバランスがとても良く、癒されます。
風は冷たいのですがとても心地よかったです。
途中、刀剣の里と通貨。この時点で15時を過ぎていました。
…昼を過ぎて徐々に日が暮れてきた感がある本日一日目
この日は、初日で体力もあるし、最低でも「播州赤穂」まで行きたかったので…まだまだです!
まだ疲れは無く、合流した2号線をずんずん進んでいく感じで、日も暮 れていきます。
途中、この旅初めての分岐ポイントになります。
西片上の駅を通過する前の2号線とです。
トンネル過ぎて直ぐの所で、車両だけのバイパス道路になるので、歩行 者は左の下り道を進む事になります。
そこから駅の南方面を歩くことにしました。
その後、国道2号線に再び合流するか、250号線の海側のルートを通 るかで別れます。
ここが分岐点です。
この時点で17時。もうすぐ日が暮れるという感じ。
僕は海側のほうが開けているだろうという判断で250号線を歩く事にしました。
ここからは日も暮れてしまい、やや写真が見にくいのですが…
250号線は二車線で街灯も乏しいのでちょっと危ないです。
終えてからの感想ではありますが、
正直250号線は夜行く道としてはお勧めできません。
夜になって寒さが厳しくなり少しづつ体力が無くなって来ました。
このあたりから立ち止まって屈伸をしたりと小休止を取るようになりま した。
でもまだ播州赤穂まではかかりそうだったので休憩時間は最小限に留めて歩きました。
「備前海の駅」を見つけた頃にはかなり足が張っていてキツかったです 。
…大型のスーパーと飲食店があるので、ここで軽く食事。
人によりますが、もう少し休憩を長めにとるのも良いかと思います。
理由としては次の日に疲れが残ってしまうからです。
その点を考慮すれば、出発時間をもう少し早くした方がよかったです。
歩き旅にチャレンジされる方は、朝8時くらいのスタートをオススメします。
さて、その後道路はやや整備されているものの、二車線で狭い歩道が続きま す。
20時を過ぎたということと年末ということで店も閉まっていました。
営業時間早いな~と思いながらもまだまだ続く道をひたすら歩きます。
港町のようです。
日中はにぎわっていると思いますし、離島へのフェリーも運航していると思います。
この辺りの港町の景色はまた見に行きたいものです。牡蠣もおいしそうだし…
やっとの思いで日生まで来たときはもう20時30分を過ぎていました 。
日生駅前の港を彩るキャンドルを見ながら残りの距離を考えました。
こんな長い歩き旅は初めてで、僕は少し歩ける距離を軽く考えていたのかもしれません。
今日のゴールまでの時間配分は正直失敗でした。
残りの播州赤穂までの距離を考え、このまま歩き続けると、到着する頃には日付が変わってしまいます。
それでは次の日に悪影響が出ると感じたので、無念ですが
『歩けるだけ次の駅まで歩いて、その駅の最終電車で播州赤穂駅まで行く』という方法をとる事にしました。
幸い250号線はJR線に添って走っていたので、日生駅から後は各JRの駅の最終便を確認しながら歩いていきました。
一日目のスケジュール配分は失敗…
日生がやや開けていた分、そこからの道は暗くて、とても心細かったです。
ライトを灯しながら、iPodでお気に入りの曲を聴きながら自分を鼓舞していたのですが…
やっぱり夜道を歩くのはあまりお勧めできないです。
不安なので早足になるけれど足腰も相当疲れていました。
写真も暗くて掲載できていません。
しかし、本日の旅もついにタイムアップという終わりにさしかかりまし た。
ギリギリでしたが、備前福河駅の最終便に乗ることにしました。
備前福河駅から先は、暗くて見えづらかったけど坂道が続いていたので 、疲れから心が折れました。
くたくたの状態でしたが、播州赤穂駅に隣接するホテルにチェックイン して、この日の旅は無事終わりました。
1日目 岡山駅→備前福河駅
続きは…
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
引き続き「中国大返し」旅の記事をお楽しみ下さい。
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