必見!統計で見るのとイメージで見るのは違う

統計で見るのとイメージで見るのは違う

レビュワーの皆さん 閲覧ありがとうございます。

周作twitter:DarvishShu)です。

こんにちは。

ちょっと不思議な統計と感情の話をシェアさせていただきます。

今回も宜しくお願いします。


昨年ごろからでしょうか、若者の自民党というか安倍さんに対する嫌悪感が高くなっているそうです。

その発信元は、昨年から話題になったSEALDsの主張。

内容を読んでみて、その「訴えかけ」になるほどなと感じました。

それは、

「恋人や兄弟が戦争に行かないといけない時代になるかもしれないぞ!」という内容。

SEALDsの方が意図的に感情を揺さぶらせる発言しているのかどうかは分かりませんが、伝える方法としては有効打だなと感じました。

なぜかというと『問題が大きくなればなるほど人の関心は小さくなる、イマジネーション出来ない。

そして物事を数字の問題(統計)として捉えたとたん感情のスイッチは切れてしまう。

そして行動しなくなる』

ということを理解しての発言だと思ったからです。

感情は行動の原動力

感情に訴える方向は統計よりも人の心を打ちます。

人間はデータや統計グラフで見られたら、それが良いことなのかどうなのか分からなくなる傾向があるようです。

それに対して感情は世界の共通言語

昔も今も、感情のあり方は殆ど変化していません。

人間の行動のコントロール源と言えます。

しかしこれは応用すると人間の意思決定をコントロール出来てしまうので危うさもあります。

感情は合理的な思考システムをのっとってしまうのです。

以下の「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という倫理学の思考実験「トロッコ問題」の記事を読めばよく分かります。

toroko

「テロと交通事故」の違いで例えてみます。

統計データだけで見ると交通事故よりもテロにあう確立はずっと低いのにテロ被害を映像として流されて、みんながそれを見るうちに感情が恐怖心のコントロールが出来なくなり、交通事故の方が確率が低いと思ってしまうのです。 

他の例として…

統計データでは、サメに襲われるのと飛行機の事故で死ぬ確率は同じです。

しかし「ジョーズ」の映画でもあるようにようにサメに襲われる映像がある分、こっちのほうが危険で確率が高いように感じるのです。

jauz

寄付をしても自分がだれを救っているのかよくわからないでしょう。

でも顔写真付で「重い病気になっている●●さんの治療費を」とか一人の救出劇に対しての寄付はけっこう集まります。

不思議ですがこれは行動原理の中の一つのようです。

感情と上手く付き合って、統計のデータだとしても一旦感情を置いたうえでイメージしてみることも忘れずに。

これから先、日本の人口が激減するという統計データが出ています。

でもこれをリアルに数字の問題と捉えずに考えてみてほしい…

「人口が□□%減る」とかではなく「今すんでいる街に人が住まなくなり、機能しなくなる」という方向でイメージしたなら、もっと危機感を感じるのではないかと思いますがどうでしょう?

▼統計だけよりも画像があればイメージできますか?
gosttown

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。