同じ内容でも見てもらえる文とそうでないものがある不思議
レビュワーの皆さん 閲覧ありがとうございます。
周作(twitter:DarvishShu)です。
このブログ『明日死んでも大丈夫?』は自分の体験やスキルの棚卸しの意味でも書かせてもらっていますが、文章がつまらないと当然のことながら読んでもらえません。
人は面白い文章、引き込まれるような“魅せる言葉・キャッチコピー”に惹きこまれます。
今回はそんな魅せる文章を作るためにはどうすればよいかを、無い頭を必死に絞り出して考えてみたので、お付き合いくださいませ。
言葉の力はすごい
昔の名言の「ペンは剣より強し」
これはまさしく正論で、言葉の力というのは本当に潜在的にすごいものがあります。
ここ最近問題になっているSNS上での誹謗中傷の書き込み。
法律が追い付いてないんだと思いますが、いよいよ見過ごせないレベルになってきました。
書き込んだ人間の大多数は画面越しにいる“生身の”人間の気持ちを全く考えず、好き勝手に投稿して…そして問題になったらアカウントを削除して行方を眩ますのでしょう。
たとえ「軽い気持ち」のつもりでも人間の、そして人間の発する言葉は、こんなにも人を追い詰めてしまうものなのかと集団の異常さを感じずにいられません。
あと、匿名性が高いほど妬みの感情があからさまに出ています。
つまり普段、実名では見せたくない感情なんでしょう。
この話はちょっと膨らませ過ぎたら今回の要点からずれてきそうなので、これくらいにします。
今回のテーマ『魅せる文章』を作るには?
簡単にこのテーマを考えるいきさつを言うと…
同じような内容のブログ記事、もしくはコラムのような読み物でも、読みやすくてアクセスが多いものがあれば、まったく読まれず離脱率が高く、アクセスが少ない記事もあります。
これは何が違うのか?
フォロワーの数とかも理由の一つですが、そういう条件は無しで考えてみてください。
その昔、明治の世に「石川啄木」という歌人&詩人がいました。
短歌や和歌がすごいという事で、死後、石川啄木記念館(岩手県盛岡市)が設立されたくらいの方なのです。
簡単に言うと、言葉の使い方が秀逸、天才の中の天才コピーライターなのです。
明治の新聞や書籍、文学集等。彼がペンを握り、記事を書けばなぜか売れるのです。
同じ内容の文章なのに、普通の記者が書いても読んでもらえない文章を、彼が代わりに執筆すれば売り上げがまるで違う。
言葉の使い方、表現方法が天才的だったのでしょう。
短歌なんで言葉の数も少ないのに、短い言葉の中に強烈にその時代の人たちの心を揺さぶるようなメッセージがこもっていたという事でしょう。
今でいう、「ひすいこたろうさん」みたいなポジションなのでしょうか?
現代のブロガーだと「ちきりんさん」が彼の様なタイプでないかと思います。
不思議と内容が心に入ってくるのです。
この辺は理屈で理解できるものではないと思いますので、書籍もしくはブログを読んでいただければ分かります。
(特にイラストや写真を使っているわけでもないのに、なぜか文章に引き込まれます。)
さて…
自分の範囲内ではありますが、魅力的な文章を作れる方法・魅せる表現が書ける人の特徴は……
『自分の頭でイチから考えた言葉で、自分の感情はもちろん、読み手に対しての感情もきちんと添えている事。』
これが出来る人が、魅力ある魅せる文章を書ける方だと思います。
僕の様な凡人にはただただ練習のみだと感じます。
やっと文章の奥深さに気づきはじめたレベルなので…
ライターを生業にしている方の上手い文章をコピペしたものって、食事で言うとレンジで温めた冷凍食品みたいなものです。
でも石川啄木しかり、ちきりんさんやひすいさんは、自分の言葉でしっかり感情(自分に対してと相手に対して)を含めた言葉を発しているように感じます。
言葉を手塩にかけてしっかり自分で吟味して調理した、真心こもった懐石料理みたいなものだと感じます。
伝え方っていうのは奥が深いので、時間があるうちにどんどん練習していこうと思います。
書けば書くほど「気づき」が得られます。
ブログを書いていて感じることですが、文章という形にして伝えるのは本当に難しいです。
だからといって、苦しい時、彼らの素晴らしい言葉をコピペするのではなくあくまで自分の言葉を書いていきたいと思います。
今回皆さんの文章力向上のヒントになったかどうかは分かりませんし、参考になるかどうかは分かりませんが、これからも閲覧して頂ければ幸いです。少しづつ上達していきます。
面白いエンタメや作品レビューなども、自分の言葉で書いてみようと思いますので。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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