Chapter2 辿り着いた先が今で言うブラック企業!「知らない」という事の恐ろしさ


辿り着いた先が今で言うブラック企業だった!「知らない」という事の恐ろしさ


世間は5月に入りました。

5月病なんて言葉もあるのに、5月になる前に世間に放り出されては洒落にならない!


当時、見栄っ張りだった自分はとりあえず仕事を確保しないと格好がつかないということで、必死に仕事を探して回りました。


意外とあっさり入社できたと思って入った会社は今で言うブラック企業でした。


仕事内容を一日こなして、これではまったく先が見えないという絶望感からスパッと退社したのですが、その後意外と早くあるベンチャー企業に入る事が出来ました。

まだ立ち上がったばかりだったその会社で、自分も新たな気持ちで頑張っていこうと思いました。

しかし、立ち上がったばかりのため立ち上げ資金がかさんでいて、給料を支給するのは3ヶ月待って欲しいと言われました。


自分はとにかく、社会人として遅れをとっているので、まずは目の前の仕事をこなすのに集中しようと思っていました。

なのでその点は了承して、広報・営業にと頑張りました。

社長以外だと、専務や常務、同僚も一人いたのでまだ小さな会社です。

これからだと意気込んでいました。

世間の大人というのはこれほどまでに酷いのか?


貯金を切り崩しながら3ヶ月働きました。

そして明日はようやく給料日というところまで来ました。


初任給で心配かけた親に何かプレゼントしようと考えていました。

まぁ色々あったけど迷惑をかけてきたのは事実ですので。


そんな感じで会社に一番乗りすると、会社がもぬけのカラになっていたのです。

僕は一瞬何が起こったのかわかりませんでした。


社長に電話しても電話が繋がらない…


銀行口座を見てもお金は振り込まれていない…


程なくして常務と専務、同僚が会社にやってきました。



皆何が起こったのかまったく分からない状態。



いわゆる『夜逃げ』です。

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またも自分は会社から強烈な爪弾きにされてしまったのです。


夏を迎えるまでもなく世間に放り出されてしまった現実。


結局、この会社を訴えるのは給料額の多い専務と常務だけとなり、同僚と自分は泣き寝入りをする形でこの会社は終わりました。


何故泣き寝入りで終わったかというと、裁判を起こすのも結構お金と手間がかかるそうなんです。

規約などの書類を細かく書かないといけないそうで、専務の話によると「もうそんな事(裁判)に時間とお金を使うよりも再就職に力を入れたほうがいい。君たちはもし裁判起こしてもかえって手間ばかりかかると思うから」


そんな感じのアドバイスでした。


そこから自分はがっくりきたというか、何もする気が起きませんでした。


その時にいた友達からは色々慰めの言葉をかけてもらっていたのですが、当時の自分は社会に対しての失望感から何も聞こえてこなかったと思います。


しかし、現実は厳しいです。


お金です。


貯金を切り崩していたお金が底をつきはじめ、マンションを退去しないといけないくらいになってました。


ショックで落ち込む暇を与えないくらい追い詰められていました。


いっそ住み込みで働こう! 向かった仕事先はなんと!!


マンショ退去を余儀なくされる程追い詰められた生活。

自分の心は崩壊寸前でした。

この半年間、学生時代何もしてこなかった頃と比べて比べ物にならないくらいキツイ体験でした。


しかし世間は夏真っ盛りの行楽シーズン。


町を歩いていたら楽しそうにはしゃいでいる学生たちを見て苛立ちを隠せなかった時期がありました。


「親元に帰ろうか…。そこで仕事を探し直そう」


そんな思いもよぎりましたが、当時の僕は親(特に母親)がとても嫌でした。


どこが嫌だったか簡単に書くと、

とにかくプライドがバカ高いので、常に自分と優秀な人とを比べて不満や文句を言ってくるのがまともに相手していたら疲れるという部分です。

日中、近所に見られたら恥ずかしいという理由で外出させてもらえなかったり、当時日本ハムファイターズのエースだったダルビッシュ有を引き合いに出して、ため息ばかりついてましたが、僕はそんな親と同居して比べられ続けるのがしんどく、家に帰るのが嫌で仕方なかったです。


でもお金が尽きてしまった自分に残されている選択肢はもう実家に戻るしかない…

いや、何とかほかの方法は無いか?

考えろ…!



仕事情報雑誌を見ながら、あれこれ考えていると、今でもよくある「住み込みで工事現場で働きながら各地を移動する」仕事を見つけました。


「これだ!」と思った自分は、もう殆ど手持ちのお金がなかったので、決断するのに時間はそうかかりませんでした。


「今、メンバーは愛知県で働いているので、そこまでの移動手段の飛行機代は自分で払ってください。

一ヶ月働いたら月の〆に給料が支払われます。でも途中で辞めたりしたら給料は出ませんので気をつけてください。

一日の経費は1000円出ます。

それで一日持たせて下さい。」

仲介を勤める方から地図を受け取った自分は、有り金をはたいて飛行機に飛び乗りました。


「夏場の工事現場は暑くてキツイだろう…でも自分はもう後戻りは出来ない。親元には戻らないと決めたんだ。


多少キツくても体力はそれなりにある。まずは一ヶ月やりきろう!」


そう決意して飛行機に飛び乗りました。

9-12
この時残りの財産は1万円もなかったです。


でも自分をあえて追い込む事で頑張ろうと決意したものです。


自分もこの辺りまできたらだいぶ精神的にも強くなってきてました。(と思ってたかもしれません)


しかし、向かった先では今まで体験してきた事よりもさらに残酷な現実が待っていました。


工事現場…じゃない!実は布団の…


どんな工事現場でも頑張って働くぞー!


残り少ない手持ちのお金でリポビタンみたいなドリンクを飲んだ後、地図を頼りに工事現場があるであろう場所へ向かいました。

飛行場から電車を使っての移動。

出費はかさむけど、現地についたらあとは働くだけ!

「なんでもきやがれ!」


そう感じて現場に到着した時、同僚の方たちがトラックに荷物を運び込んでいました。

現場監督らしき人に紹介状を渡すと、早速明日のための積み込みを手伝ってくれと言われたので手伝う流れとなりました。


「しかし、えらく遅くまでやるんだな…。就業時間は朝8時から夕方6時までと書いているのに、夕食どころかもう10時近くになるぞ…」

そんな不安感もありましたが、一日目は11時前で終わり、そこから同僚たちとコンビニで食べ物を買ってホテルに入りました。


明日から現場作業か…


体力温存のために早く寝よう。


そんな感じで一日目を終えたような気がします。


宿舎がビジネスホテルだったので、いくらか安心しました。




しかし次の朝、業務を言われて唖然とします。


仕事は工事現場の作業などではなく、田舎の家にいる老人(年配の方)をある場所まで誘導する仕事なのです。


ある場所まで誘導させて、そのあとプロの営業マンが法外な値段の布団を売るという構図です。


ぶっちゃけ悪徳商法の会社だったのです。

これが会社か?信じられない業務内容と暴力


粗品プレゼントという餌をばらまきながら、うまく年配の方を集めて、所定の場所まで車で案内します。


そこで健康の話を聞いてもらった後、本題の買ってほしい商品を買ってくれないとその年配の方たちは歩いて家まで戻らないといけなくなります。


買ってくれた方には丁重に車で家まで案内します。


僕はその仕事内容にショックでした。


完全に騙されているではないか?


しかしもうここから移動するお金はありません。


とりあえず、ここで一ヶ月我慢して働くしかない!


そして給料をもらったら即退社して、そのお金で家に戻るしかない!



年配の方の家に訪問して、あの手この手で引っ張り出せないと、車の中で怒鳴りつけられ殴られます。

上司の気分が悪いときは一方的に理不尽な行為を受けます。


もう良心は完全に崩壊します。


同僚の人も、ストレス度は既にリミットオーバーという感じで、暇さえあればタバコをふかして自制心を抑えていました。


「なんとか耐えて給料をもらったら辞める!一ヶ月の辛抱」そればかり言ってました。




また、就業時間も劣悪でした。

朝8時から仕事開始で、だいたい11時から12時くらいまで働きます。


年配の方を誘い込むのは夕方、会社から中年層が帰ってくるまでにカタをつけるのですが、その後、布団や「客を釣るための日用品」などを大量に車に積み込んだり、移動するための車、社長や上司みたいな人の車も含め丁寧に洗ったりします。


社長達がホテルで夕食を食べている間もずっと掃除や積み入れの作業です。

だいたい11時過ぎ。

積み込みが終わり、そこからコンビニで何か食べるものを買ってホテルの部屋で夕食を済ませます。



自分はもちろん良心が耐えられなかったし、うまくお客を集められずに叩かれました。


同僚がうまく集客できずに同じように殴られたりしているのを見るのも辛かったです。


「これが“仕事”なのか…あまりにも過酷で仕事も仕事内容も嘘ばかりではないか? 工事現場作業員っていうのは全くのデタラメか…」


ホテルの部屋の中で一人絶望感を感じながら、もう永久に明日が来ないで欲しいと感じたもんでした。


逃げ出す金も無いのです。


ここでの経験が、自分の精神力をさらに強固にしてくれたのは事実ですが、あまりにも仕事が精神的に厳しかったです。


しっかり眠れないので体力的にもきつくなってきました。


食事もゆっくり摂れなかったので、一気に痩せました。(お恥ずかしいですが、後にリバウンドします)


そうして働き始めて何日が経っただろうか…


ある日も、自分達の広報活動で年配の方を一つの場所に囲い込み、メインの布団の販売が始まりました。


でも買わなかったおばあさん…


そのおばあさんは足腰がとても弱っていました。



でも布団を買わなかったので、連れてこられた場所から自分の家までなんとか歩いて戻らないといけません。


杖をたよりにゆっくり歩きながら、車で待機していた僕らをじっと見ていました。


そのおばさんと目が合った時に、「あぁ…俺は金のため、生きていくためとはいえ、なんてことをしてしまってたんだろう。昔はおじいちゃんあばあちゃんのお世話をするボランティア活動によく参加してたのに、今の自分は間逆な方向に向かっているな…」と感じ、その日仕事を終えた夜中にグループのボスの部屋に行き、「もう辞めたい」という意思を伝えにいきました。


今まで仕事中何人もが脱走したというのは同僚から聞いたことがありました。


自分が働いていた数日の間にも同僚が2人いなくなってました。


でも自分は、もうこの会社とはなんのしがらみも作りたくなかったので、無断で逃げるのではなく、辞める意思を最後に言ってから出て行こうと思いました。


ボスははじめは「まぁもうちょっと頑張ってみろよ。」と軽い感じで言ってたのですが、自分の辞める意思が硬いと分かるや「今すぐ荷物持ってホテルから出て行け!今すぐや!出て行け!!」と声を荒げるようになってきました。


自分はそそくさとお礼を言って部屋を出ました。


その流れで部屋の荷物を全てかたづけて、フロントに鍵を返しに行きました。


その時、時刻は夜中の2時。

手持ちのお金は5千円弱。

その状態でホテルを追い出されてしまったのです。



給料?

もちろん一ヶ月耐えられなかったので一文も無いです。


給料は出なかったし、お金はもうない上で、見知らぬ土地に放り出されてしまったのです。

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社会ってここまで理不尽な世界なのか…

今までいろんな困難はあった…

しかし今回のはさすがに堪えました。


今まで人生を真剣に考えてこなかった、そして世間をよく分かってなかった自分も悪いですが、さすがにこの仕打ちは酷いと感じたものです。


自分の中のリミットが外れたら新たな道が見えてくる


季節は秋。

夜中とはいえそこまで冷えてなかったのが救いです。

これが真冬ならえらいことです。


とにかくこれから家に向かって歩いていくしかない。


愛知県の見知らぬ土地から実家がある高知県まで…


ドラクエみたいに西目指して歩いていこう。


精神的にも疲れ果てていたのですが、不思議とうつ状態になったり「死にたい」と感じる事はありませんでした。



今まで、プライドの高い母親にハイスペックの人間と比べられて、劣等感ばかり植え付けられてきたので、「絶対にこのまま終わってたまるか!」という意地の感情の方が強かったです。


人間って、絶望感を感じたときにショックで引きこもるタイプはいますが、僕の感情は反骨心むき出しで「いつか見返してやる!」という方向に向かったようです。


ここまで会社の社長やボスにいい様に使われて悔しかったのです。


思い返せばもうすぐ自分の誕生日…


この一年濃かったな~。


社会人になってもう10年分くらいの経験をしたような気がするな~。


絶対に世間に屈したりするもんか!


歩きながら自分の心の中が熱くなっていくのを感じました。


またゼロからのスタートでしたが、なんだか今までのとはちょっと度合いが違っていました。


冒頭の自己紹介で少し書きましたが、当時の自分は見栄っ張りで、無駄にプライドの高い面倒くさいクソガキでした。


しかし、ここで自分の中で踏ん切りがつきます。



追い詰められた人間は「開き直る」というのでしょうか、結構何でも出来てしまうものです。



それまでは、ヒッチハイクなんて出来るわけないと思ってたし、やってみようなんて生まれてから一度も思わなかった(大袈裟)のですが、夜が明けてきたのと同時に人格が変わったようにヒッチハイクをはじめました。


これはヒッチハイクに限ったわけではないのですが、なんでもやろうと思えばたいていのことは出来てしまうのです。

それを自分で「出来っこない」と思い込んでいるだけです。

自分で勝手にリミットを設けているだけなのです。

「やりたくても出来ない」のは大抵自分のプライドが邪魔しているだけです。



まぁ早朝からのヒッチハイクをやっていくうちに、そういう気づきも得られました。


そしてもっと難儀するかと思ってたのですが、7時過ぎくらいにあっさりとヒッチハイクは成功しました。


人生で初のヒッチハイク成功です。


自分の中で一つの殻を突き破った瞬間でした。


その後、ヒッチハイクはうまい具合につかまり、高知まで無事戻ることが出来ました。


自分の成功体験なので、確実性はどうか分かりませんが、ヒッチハイクのコツはつかめたような気がします。

補足みたいな感じになりますが、シェアします!


駐車場が広めのコンビニや、深夜営業(24時間)の食堂やラーメン屋で、行き先の看板を掲げるのではなく、直接交渉すれば2割くらいの確立で(多分…)乗せてもらえると思います。

失敗してもへこまない事。

少なくとも悪い風に思われることはないです。


…ってこれは他の仕事でも使えそうなアドバイスですね。

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今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

より分かりやすく読みやすい記事を心がけていますので、気になった点や分かりにくい部分があれば是非コメントをお願いします。

個人的なコメントでも結構ですので宜しくお願いします。