さあ、プロ野球と阪神タイガースの話をしよう!
今回は野球と阪神タイガースを語ります(知らん人でも分かるように)
レビュワーの皆さん 閲覧ありがとうございます。
サイト管理人の 周作(twitter:DarvishShu)です。
今日は大阪だけでなく全国にもファンが大勢いるであろうプロ野球団『阪神タイガース』について語りたいと思います。
僕は1992年からファンとして見始めましたので、1985年の優勝の珍事(?)やバースの事などを知りません。
一番初めに覚えた選手は、当時新人だった藪投手。
そっから色々とプロ野球にのめりこんでいきました。
TVではありますが、一番はじめに試合を見た時、丁度阪神はドラマティックな試合を見せてくれました。
いつだったか忘れたけど漫画みたいな試合だったので流れは覚えてます。
その試合は確か雨がふってました。
藪投手が中継ぎかなんかで出てきて相手チームを抑えた後、満塁ホームランで勝つ試合でした。
その試合があまりにも出来過ぎのような感じだったけどそのあたりから野球を見始めました。
弱気を鼓舞し強気を挫くようなキャラが大好きだったので、遠山投手が大好きでした。
とはいえ、まだファン暦でいうと20年程…
まだまだファン暦が長いおっちゃんから見れば「まだまだジャガイモやんけ!」みたいに思われるかもしれませんが、記事を読んでいただいているのも何かの縁です。
是非お付き合いください。
ちなみに選手&スタッフやチーム内の細かい情報はこちらでタイムリーに知ることができます。
大阪ならではの笑いのやり取りもあってとても面白いので(昔のテーブルトークみたいなやつかも)ファンの大多数はおそらく知っているでしょう。
ちょっと昔ですけど僕はこの記事が一番笑えました。
…さて、我等が阪神タイガースに話を戻します。
知らん人に入り口から説明すると(データは抜粋しています)
日本のプロ野球球団の一つ阪神タイガースを運営する法人、株式会社阪神タイガース。
親会社である阪神電気鉄道は阪神阪急ホールディングスの傘下に入り、社員投票の結果を受けてタイガースとなりました。
阪神甲子園球場(兵庫県西宮市甲子園町)をホームグラウンドとする、セントラルリーグに属する球団です。
設立は1935年。現在日本にあるプロ野球の中で、讀賣巨人軍に次いで2番目に長い歴史を持っている。
こんな阪神タイガースですが、僕が見始めた1990年代は「アホちゃう?」言うくらい…弱かったです。
あの時代、冷静に見て「個」だと身体能力の高い選手もいるのですが、「チーム」として見ると偉そうですいませんが「詰め」が甘すぎるのです。
外人がどんどんシーズン途中に帰国して、12球団一ストーブリーグの始まりが速いおかしな球団でした。
しかし腐らずに気を吐いていた選手もいてたので、そんな選手は応援していました。
そんなタイガースも低迷打破のため、野村監督が就任して、就任一年目の6月頃に一時首位になったときがありました。
あの時はめちゃくちゃ覚えています。
まだ優勝したわけやないのにアホみたいに盛り上がりましたし大阪の街がなんかおかしかったです。
いくら知将・野村さんとはいえ、純金のおっさんの人形を売り出す行為が、まだ学生だった自分にはアホの極みみたいに感じたものです。
その後、アホみたいに失速したのは今はネタとなっていますが…
とにかくあの時、人間というのは愛するチームのためにこんなにも明るくなれるのかと今考えたら思います。
それだけ阪神タイガースが大阪を中心としたみんなの希望の象徴であったわけです。
もう復興の象徴とかエスペランサとかいうレベルを超えています。
だって全国どこいっても阪神ファンはいましたし。
スポーツ紙も、試合に負けてもポジティブなキャッチコピーで盛り上げてくれました。
印象に残っているデイリー一面のキャッチコピーとして(負けた翌日)
「新庄、舞った!」
…優勝してもないのに今考えると苦しい見出しやな~と笑えます。
そして自分もいつしか社会人になって就職氷河期など世間のあおりを受けて苦しんでいる時。
星野監督の下、阪神は初めて4位に浮上します。
あの時4位でもすごくうれしかったのを覚えています。
2002年、あの年のラストゲームは確か巨人だったはず。
その時の試合を見てて…なんか「あの巨人と互角に渡り合ってるで!」とワクワクしながら見てました。
赤星選手や濱中選手などスター選手が出てきたし、なんだか自分も励まされるような感じで見ていました。
そして世間の荒波の中、苦しい社会人生活を送っている最中どんどん強くなっていく阪神からものすごく生きる勇気になりました。
世間の荒波が苦しくても、仕事が終わってからのナイターを見ると心が燃えてきました。
優勝の瞬間はもう泣けました。
よく「勇気をありがとう」という声援があるのですが、優勝したとき、あの言葉の意味が良く分かりました。
人を応援していく中で、自分も呼応する様に感動する原理というか想いを感じた瞬間でした。
そしていつの間にか阪神タイガースは、生きるエネルギーになってました。
長い暗黒時代を終え、ようやく優勝争いができるチームになってからももちろんファンとして応援してたし、観戦ツアーに参加して四国のみんなで応援にも行きました……が、自分自身、社会のしくみを知ったり、年齢を重ねたせいもあるのか、だんだん野球の見方が変わってきました。
結果やプロセスにも注目するようになった
バッテリーの呼吸やチーム内の人間関係。
シーズンごとの打者とバッテリーとの駆け引き。
2軍の選手や監督とのやりとり。
シーズンごとに攻め方が微妙に違っていたり、ポーカーフェイスの裏をさぐってみたりと単なる選手の成績や数字だけを見るのではなく、野球人としての生き様にも注目するようになりました。
彼らにも家族がいたり恩師や支えてくれる方が陰にいてるわけです。
そんな想いを背負い、あの大舞台で勝負してるわけです。
2010年くらいからは狩野選手が好きになりました。
また、同じくらいの年齢の選手で引退になってしまった方も出てきたりして、なんだか無性に寂しく感じた事もあります。
怪我した選手がいたら、怪我の名前をネットで検索してどういう症状なのか調べたりしました。
こうやって野球を見ているファンも自分との人生と照らし合わせながら見るようになるんやろうかな…なんて感じます。
最近(2016年)だと原口選手は育成枠から台頭してきて、今までの苦労などを考えるととてもこれからの活躍にワクワクします。
…ちょっと阪神タイガースだけの話でなくなりましたが、
昔の「勝ってほしい」というとこにこだわって応援してた頃より野球を見るのが色々な意味で楽しくなりました。
もちろんタイガースが勝てば嬉しいしみんなで祝杯して盛り上がれます。
勝った後の「六甲おろし」の大合唱は一体感がものすごいです。
応援歌も声援も阪神が世界一だと思っていたのですが、千葉ロッテは独特の一体感があってダイナミックです!
また、真夏に着ぐるみを経験した身として、あのマスコットキャラ達にも敬意を表したいです。
タイムリーヒットが出たら気前良くだれかれ構わずお菓子を配り始めるおっさん。
雨が降ってきても応援を辞めない私設応援団の皆さん。
黄色いダスキンモップみたいなのを威勢よくふりまわして音頭とってる応援団を「あのおっさんカッコええな~」とばかりにじっと見ているちっこい子どももいました。
活躍した選手のヒーローインタビューでは、その選手の人柄も分かるし、それを一言一句もらさずテキストにおこすスポーツ新聞も楽しみです。
そんな阪神タイガースとプロ野球。
これからも人生と一緒に応援を続けていきたいと思います。
記事を読んでくれている皆さんとも一度応援にいってみたいですね。
ご縁があれば。
最後まで読んでくれた皆さんにお役立ちサイト。(知ってたらスイマセン)
かなり細かいデータまで掲載されているので、より深くプロ野球を楽しみたい方にお勧めです。
もし野球好きな人が知り合いにいてたらこのサイト紹介してあげてください。
シンプルで見やすいし調べてたいだけ掘り下げらるのでお勧めします。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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