思いを伝えるために
この度は閲覧いただきありがとうございます。
周作(x.com/DarvishShu)です。
今回は自分で作品を作り上げていく中で感じた創作論というものを書いてみたいと思います。
あくまで自分の中で創作活動を進めてみたうえでの結論です……いや、結論というより考察です。

自分は今、小説の執筆にチャレンジしています。
5年前には舞台脚本を書き上げ、舞台での発信を試みました。
20年前には漫画作品を描き上げてました。
25年前には楽曲を制作していました。
創作の一つの形です。
どちらも創作した動機は“この創作したものを通して世の中を良くしたいから”というもの。
かなりシンプルに書きましたが、振り返ってみてもそれはどうも世の中が求めるものではなかったようです。

大昔の苦い思い出ですが、漫画作品の方は『あなたは右翼か宗教の人ですか?』と言われえてろくに相手にされなかった事。
小説の方は、PV数という一目瞭然の結果が現実を映し出してくれます。
投稿をしても閲覧されず、何万もPVを得ている作者さんが雲の上の様な存在に見えてしまいます。
それでも自分の作ったものがそれに大きく劣るとは思えないのは正直な気持ちでした。
しかし、いくら自分で納得のいくものが作れたと思ってもそれはあくまで自分の主観です。
相手がそれを受け止めようとしなければ存在しないもの同然です。
自分の伝えたいメッセージ…作品に込めている事…
もう少しだけ具体的に書かせていただきます。
日本人として生まれてきてるんだ!皆、気概を持て!
日本人として生きてる今俺達には役割があるはずだ。
今皆生きてて苦しいかもしれない。
でも死んであの世とか異世界に行って幸せになっても仕様がない!
生きてる今、ここを天国にしていこうぜ!』

これ以上自分の想いを詰めていくとやや違った方向に脱線しそうなのでこの辺にしておきます。
でも自分の人生を振り返りながら感じた事や体験したことを交えつつこれまでの人生の集大成と思いながらチャレンジしてみた創作活動…
20年前はまだ自分も未熟だった故、自分の“伝えたい”という思いを前面に作品に出し過ぎていたと思うけれど、今回は様々な人のアドバイスや反省を生かしたうえでエンタメ作品を執筆してみたのに…何故支持を得られないのか…
このままだと創作したこと自体が認知されずに消えていき、自分ではそう思っていなくても完全な自己満足で終わってしまいます。
「創作」って何なんだろうか?
自己表現じゃないのか?
殆ど認知されていない今、自分は今創作したことになっているのだろうか?
この時間は何の時間なんだ?
自分は…誰かの役に立っているのだろうか?
* * * * *
ここで一旦、世間では小説に対してどんな事を求めているのかをリサーチしてみました。
おもに“なろう関連”から色々な記事を読んでみて集めてきた情報ではあります。
報われない中年、生きづらい若者への救いがほしい!エンタメに活路を見出したい。
せめて生まれ変わったら願望をかなえてくれると思いたい。
疲れているから気軽に楽しめるエンタメが欲しい。癒されたい』

とにかく読者になりそうなターゲットの人は、かなり日常に精神を疲弊させて疲れているというのを感じます。
ショート動画の様に手軽に快感物質(ドーパミン)を得られるようなものを小説に求めているのが感じられます。
そして小説はショート動画よりもノイズ部分が多いため、閲覧にストレスがかかればすぐに離脱されてしまいます。
……
……成程。
自分の様に疲弊している読者の方々に「それでも前を向け!動け!動いてみれば変わるぜ!」と勇気づけるようなものを作ってもそりゃあ読んでもらえません。
皆想像以上に疲れているんです。
やっとの思いで自宅に到着して、自分のプライベートの時間くらいは癒されたいわけです。
だって娯楽なんです。
自分も学生時代は家に帰ったら純文学小説よりもドラマや漫画ばかり読んでましたし…
娯楽の時間まで叱咤されたくないですよね。
そこは否定できるものではありません。
そういう心情を無視して声を挙げても響かないなというのが少しづつ見えてきました。

そこで、創作するために必要な心構えなどをもっと調べてみようと感じるようになりました。
…創作と思い込んでいるものを自己満足という檻に閉めてしまいたくなかったからです。
創作者から伺った意見
自分の創作したいという意識と世間の意識との乖離があると感じたので、一人で思い悩まずにプロの方に創作と言うものは何なのか伺ってみる事にしました。
それまで創作するということは自己表現の一つだと感じていたのです。
しかしそれがプロとなって多くの人の目に留まるには大きく考えを改めなければいけないようです。
その原稿の中身が評価されるかどうかは、いかに読者に対して気を遣った内容を仕上げられるかどうかのみにかかっている。
それ以外の評価軸は、娯楽小説には一切ない。
プロをやるということは誰よりも読者に対して媚びる商品を書くということ』

閲覧数が少ない中、受け入れざるを得ない事実…
それが出来ていれば成功している筈ですから。
そして自分の創作してきたものが違うのかという迷いも生まれてきました。
商業的な視点で見れば売れ筋にない部類だと…
読者に気を遣った作品でないと創作したものとして認知もしてもらえないのか…という行き詰まりを感じました。
それでも創作は続けたい…そのルーツにもう一度立ち返ってみます。
何になりたいかではなく「何をやるか」
もう一度初心に戻り、考えてみます。
「自分は何のために創作を続けているのか?」
それは……
自分がこれまで40数年生きてきた中で学んだ事を1つの媒体にまとめて伝えたい。
後の世代へ残してしまったツケを自分なりに払う方法としてせめて戦争の無い世の中を残したい。それが祖父の願いでもあったから。』
少し創作から離れた意見ですが、嘘偽りない自分の創作への理由です。
だから余計に自己満足で終わらせたくないという気持ちと合わさって、空回りしてました。
創作は自分自身を表現する手段ですが、読み手がいないという事はそこに存在しない事になります。
自分のオピニオンを述べても聞いてもらえる人間が居ないので、他の媒体でも表現してみた。
でも閲覧してもらえない現実を前に急に執筆に迷いが出てしまっていた。
自分は小説を執筆し始めた時、はじめからプロの作家になりたいというイメージはありませんでした。
とにかくこの作品を形にして世に残すことで社会の役に立てたい。
この作品を通して少しでもこれからを生きる人たちの人生の糧にしてもらいたい。
それだけだったのです。
そこを振り返った時、また執筆が進み始めました。

結論……
自分の中での創作論とは…その根っこは…
「誰か人の役に立ちたい」という思い。
だから創作を続けているのだと。
誰かを幸せにしたいから書いています。
誰かの為に書いています。
その為に自分の時間を使って推敲作業を続けています。
それで良いんじゃないかなと。
商業的な審査を通るにはやるべきことはあります。
売れ筋を意識したり媚びる事も必要でしょう。
多くの人の目に留めてもらうには一番有効な手段であるのは事実です。
そこを無視する事はできません。
反骨精神もあります。
でも自分の根っこの部分……
何のために書くのかの原動力が見えなくなると動けなくなります。
勿論読まれないままで放置するのも良くないので、その根っこの想いをSNSなどで発信しながら続けていきたいと思います。
DiscordやRedditといったツールもチャレンジしてみます。
自分の創作の根っこの部分はぶれないようにしながらも続けていくことが出来ればと思います。
そうする事でどういう形になれ、やって良かった。形にして良かったと思えるのかもしれません。

自分の中の『何のためにそれをやるのか?』をよく見つめ直してみて下さい。
そこをはっきり答えられるのなら迷わないと思いますので。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。



























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