本当にいかれた世界だった
この度は閲覧いただきありがとうございます。
周作(x.com/DarvishShu)です。
この作品を視聴しようと思ったきっかけはズバリ“タイトル”。
だって意味不明です。じゃないですか?
死亡遊戯というのはデスゲームです。
殺し合いです。

それで生き延びた人間が数百万のお金という賞金を手にする事が出来る闇の世界。
こんなの現実にあるわけないだろ!あってたまるか!!しかもデスゲームに参加しているのは全員10代か20代の女性ばかり…という自分の中の常識と、なんでこんなデスゲームがまかり通っているの?この世界はどうなってるんだ?という頭の中で絶えず沸き上がるクエスチョンに対して何らかの答えが欲しかったから…
でもこの世界は“いかれた世界”だった。

常人には理解できない世界だった。
そしてその世界で敗れ、死んでいく若い女性達…

使われているBGMも何か自分の感覚を麻痺させるような幻想的な曲が多く、途中からこの独特の世界観をしっかり味わいたくてイヤホンで視聴していました。

サントラあったら買いたいくらい…
そんな「死亡遊戯で飯を食う。」のOP映像です。
この映像からしてもうなんかおかしいです。
いかれた世界で生きる者と傍観するもの
1話目は拡大版で、このデスゲームがどういうものかを一通り理解するためのオープニングバウトという感じでした。
でも想像以上にきつかった。

デスゲームに参加している女の子達の心理状態はどうなのか…
主人公は99回クリアするとかいかれた事を言っているが、頭大丈夫なのか?
壮絶な1話を視聴し終わったところで、世界観はなんとか理解できましたが、クエスチョンは増え続けるばかり。



このデスゲームの創造主は最後まで出てきませんでしたが、主催者の趣味の悪さに吐き気がします。
物語を見ていくうちに、このデスゲームの運営や参加からクリアまでの流れなどが次第に明るみになってきます。
だからなのか、この狂ったデスゲームがフィクションのような気がしなくなって怖くなります。
途中、デスゲームに参加する本人のドキュメンタリーみたいなエピソードも入り、よりリアルさを感じさせるものがあります。
嫌でも色々とバックを想像してしまう
デスゲームの現場には何台も監視カメラが設置されています。きっとこの殺し合いの様を出資者達が見ているのでしょう。…エンタメの一つとして…
滅茶苦茶な富裕層たちの嗜む残酷な趣味…
そんな片鱗が少しだけ見えます。
主人公がローマ時代に支配者に立ち向かう剣闘士(グラディエーター)みたいにどこかで反逆してこのデスゲームという狂った構図をぶっ壊すというストーリーも期待していたのですが、そういう方向には進まず…
主人公の幽鬼(ゆうき)さんは淡々とゲームごとのクリアの為の特性を見抜きながら生き残っていきます。


カメラのアングルのヨセや引き、そして音楽がその異様な雰囲気をより引き立てていて、BGM付きの芸術作品を見ているような感覚でした。

推しを作ってはいけない
1話を視聴して、感情が追いつかないと思う人はなかなか視聴が難しいのではないかと感じます。
参加者に少しでも感情輸入してしまうと辛くなります。そしてそんなシーンが続くと感覚がおかしくなります。

それくらい“いかれた世界”を描いています。
普段使わない感情…感情のインナーマッスルをピンポイントで刺激されてるような感じでしょうか……
ネタばれ無しで上手く伝えられているか分かりませんが、自分の普段使わない感情という名の筋肉を刺激しているような気分で“こういう部位を鍛えるのも必要な事なのかな…”なんて感じで視聴している自分が居ました。
デスゲームにクリア(生還)すれば無事賞金も入ってきて、今後の人生に活路を見出せる可能性も出てきます。


ギリギリの世界で生きていくという感覚
自分がもし参加せざるをえない状況になったらどう感じるでしょうか?
なんとしても生きて帰る事を第一優先に考えるでしょう。
しかしそこはデスゲーム。
参加者の中には狂った思考を持っている人物が紛れ込んでいたりします。

そうなると、クリアルール以外の部分で仲間が背後から刺してくることもあり、現場は混乱して悲惨な事になります。

自分達の感覚だと無事クリアして静観する事を一番に考えるのですが、それはあくまで自分達の価値観。色んな考えを持った人がいます。
そこの盲点をきちんと理解しないと“死”は突然やってきます。

安全だと思っていた状況から一気に状況が変わってパニックになるというのは日常で決してないとは言い切れません。

おそらくこのゲームを傍観する人間の為に配慮されているのだと思うのですが、それでもそこらじゅうにモコモコ綿に埋もれたまま転がっている死体を見ると、冷静に考えると恐ろしくなります。
人間は決して人間を殺すようにはできていないと思いたいのですが、こういういかれた世界に放り込まれると思考がおかしくなるのでしょうか?

ギリギリの世界で生きていくという感覚がいつの間にか快感になってしまっているのか?
それはその境地に達した人でないと味わえない感覚です。

普段なら考えが及ばないような世界を覗くのもまた自分の視野を広げるためには必要な事かもしれません。

この物語はまだ続くということで、劇場版でも公開されるようです。
『死亡遊戯で飯を食う。 44:CLOUDY BEACH』 特報映像
興味はありますが、いざ見に行くとなればどんな気持ちでこの映画を見に行けばいいのか複雑です。
“頼むから死なないでくれ”みたいな気持ちで見るのだろうか…“どんな美学を残して散っていくのだろうか”と感じながら見るのだろうか…でも誰もが死なずに生還できるゲームじゃないので何とも言えません。


そうでないとどうしても自分の主観で物語を見てしまいがちになります。
“いかれている”からこそ自分の主観を頼りに考えてしまう…
この世界にもっと足を踏み入れる為に劇場版…見に行ってみようか…と感じる自分はちょっとおかしくなってしまったのかもしれませんね。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

























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